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患者インタビュー:急性散在性脳脊髄炎(ADEM)

更新日:2022年10月18日





金森潤熙さん

  急性散在性脳脊髄炎(ADEM)  

愛媛県在住 51歳 


アメリカのシアトルマリナーズと契約しプロ野球選手として活躍した金森さん。

社会人野球を経て、東アジアで野手として初のメジャーリーグ球団と契約した方です。


プロ野球引退から10年後に急性散在性脳脊髄炎を発症(当時37歳)。

意識不明の重体から蘇生、CBDと出会い医療大麻を求めアメリカでの治療を経験。

発症から14年、体に起きた変化について詳細に語ってくださいました。



《急性散在性脳脊髄炎を発症》

最初は風邪でした。

忙しかったこともあり少し無理をしながら仕事をしていて急に寝込んでしまいました。

意識が錯乱しだして、近くの病院に入院。一週間で退院する予定でしたが悪化し、愛媛大学附属病院に転院しました。その時、意識はなく気がついたら1ヶ月以上経過していました。

当時の様子を彼女(現在の妻)が記録してくれていました。記録を見て分かったのは、2週間HCU(高度治療室)で脳の腫れを抑えるために全身麻酔し、体の活動を最低限のものにし、ある意味、仮死状態にして呼吸や栄養などの管を繋いだ状態で過ごしたようです。妻は医師から、”意識が戻らないかもしれない。脳の血管が切れたら処置の施しようがないので諦めてください”と言われていました。なんとか命が助かり、その後、意識は戻りましたが今のような正常な状態ではなく自分のことも分からず記憶は断片的でした。



《急性散在性脳脊髄炎と知って》

病名を告げられたのは、ベットから下りてリハビリに行くことが出来るようになってからでしょうか。聞いたことのない病名だったのでネットで調べました。非常に珍しい病気で当時は10万人に2.5人とか、情報によっては1人とか。何が正解なのかは分かりませんでしたが10万人に数人レベルの病気だということは分かりました。大人で重症化すると病後が悪かったり亡くなる方が多いようです。

ADEMという散在性脳脊髄炎という病気なのですが、脳と脊髄の至るところに炎症や腫れが出て、末端神経がやられてしまう自己免疫疾患でALSなどと同じ病気のメカニズムです。自分の免疫細胞が神経細胞を攻撃して身体が動かなくなります。僕の場合は突然でしたし、HCUで2週間仮死状態だったので、目覚めたら体が骨と皮の状態でした。



《全身の痺れ、不眠》

最初は自分のことも分からず、今の意識と違い周りも分からないという状態でした。今のように普通に喋れたり認知出来るようになったのは1ヶ月ちょっと過ぎてからでした。初めて自分の身体が麻痺して全く動かない状況であることが分かりました。脳にダメージを受けたので記憶障害や認知、幻覚、幻視、幻聴もあり多くの不思議な体験をしました。

リハビリ病棟に移りプールでの訓練を開始してからリハビリの効果が出始め、車椅子から杖で少しずつ動けるようになり入院から約8ヶ月後に退院しました。

僕の場合は脊髄までやられていたのでおへそから下が完全に麻痺していました。手はなんとか動かせていましたが、全身の痺れと締めつけ、痛みで寝れない状態でした。不眠で、寝る時は気を失って寝るというような状況が何年か続きました。目は光による刺激がダメで一時期はずっとサングラスをかけていました。



《効果のある治療とは?》

入院中はステロイドを投与されていた記憶がありますが、まず治療薬はないので薬で良くなるということはないですよね。

向精神薬を出されると、何も出来なくなる状態になり薬が合わず一切止めました。プールのリハビリが良かったのは、血液の循環がよくなるんですよね。ボディービルやプロ野球で身体作りの経験があったので、血液を多く循環させると神経細胞や筋肉が発達するのは分かっていました。ランナーズハイではありませんが、自分でも分かるくらい脳が回復し痛みも忘れます。脳内に化学物質が分泌されて薬以上の効果があったので痛みを和らげるためにプールのリハビリに通っていました。



《初めてのCBD摂取》

今から7〜8年程前、通っていた治療院に偶然僕のことを知っている人がいて、その人から僕にピッタリのサプリメントがあると聞きました。それがCBDオイルでした。

今まで大麻に関するものは税関で全て止まっていましたが、その紹介してくれた業者が、日本で初めて税関を通したんです。当時摂取したものは微量のTHCが入っているものでした。全草が入っていて他のハーブも入っているものですね。ブルーバード社が作っているものですが、CBDを摂取したのはそれが初めてでした。

メジャーリーグの時に薬物ポリシーというのを勉強するので、コカインやヘロイン、大麻などの用語は知っていましたが、それがどういうものかまでは知りませんでした。投薬もしていなかったですし、サプリメントということで、とにかく試してみようと思いました。今まで大学病院から処方される薬は体に合わなかったですし効果がなかったものですから。舌下に垂らして摂取するタイプのもので抵抗はありませんでした。



《CBD摂取後に明らかな変化》

当時CBDは1本13万円くらいしましたが、試しに1回摂取してみました。口の中でオイルを浸透させるように含ませるとスーッと全身の痺れ、頭や胸の締め付けや筋肉の痙縮が緩んだのが分かりました。摂取してすぐ5分かそれくらいではないでしょうか。普通に立つことができ姿勢が変わっていました。伸びなかった体が伸びたんです。今までいろんな種類のCBDを試したことがありますが、やはり全草入っていてTHCも含まれているものが薬の効果として体の変化が分かりやすいです。

CBDを紹介してくれた人は、アメリカのCNNの動画を見てCBDの効果については知っていても実際に目の前で人が変わっていくのを見たのは初めてだったようでとても驚いていました。ドラべ症候群やてんかん発作のある方と症状は違いますが、前屈みで体が伸びないような状況、痙縮、それが明らかに変化したのです。高くて継続して買えませんでしたが、効果があるというのがその出来事で分かりました。”海外では薬です”と聞いて、唯一の希望の光が見えました。



《CBDで全身の痺れが改善》

THCが入っているといっても僕が摂取したのは微量に入っているかいないかくらいのものです。このCBDをある程度大量に摂取すると体に変化が見られました。日本で4ヶ月程摂取しましたが、その4ヶ月で体の痺れや痛みが治っている、改善している状態になりました。この経験から海外の治療を模索していた時、このNPO法人が主催したツーリズムで、正高先生と運命的に出会ったのです。



《アメリカでの医療大麻治療》

アメリカでは2週間、ホテルに滞在しました。医師のジェフェリー氏の診察を受け、僕の場合のTHCとCBDの配合について診断してもらい、ディスペンサリーで購入し処方された製剤の摂取を開始しました。医師のスケジュールのもと気化したベイブやオイルを摂取しました。病気をしてから初めての海外だったので、疲れもあり、目の感染症になってしまいました。物が食べられず、水分とコーヒーだけを飲んで過ごしました。薬を摂取しては寝てを繰り返す生活、ほとんど寝ていましたね。ところが1週間すると体が元気になってムクっと起きて外出したくなったんです。正高先生と歩いてみるとかなり歩けました。いつもなら歩いたあとに痙攣や痙縮があって寝られなかったのですが、その日の夜は痙攣や痙縮もなく寝れました。その様子を間近で見ていた正高先生が驚かれて”これは本物だな”と確信されました。



《初めて会った正高先生の印象》

一番最初の出会いでビビッときました(笑)。その当時、CBDを薬だなんていう人は誰もいませんでした。それまで僕がSNSで、”大麻は薬なんだ”というのを発信していましたが、成田空港で正高先生に出会って、”この先、僕の代わりに大麻に関する情報発信してくれる人なんだ”というのはそのとき感じました。あ、この人なんだ、と。やはり医師で説得力も違いますし、未来ある若い青年でしたから。



《2週間の医療大麻治療を終えて帰国》

驚くことが起こりました。自宅に戻り寝て起きると、外出したい!というくらい元気なんです。今まで一人で出かけたことはなかったのですが、自分で車を運転して出かけました。

アメリカへ治療に行く前の話ですが、CBDが大麻だと知って徳島県の大麻神社へ妻と一緒に行きました。海外での治療をお願いしお詣りしたその直後にアメリカの医療ツーリズムが決まったという経緯があり、帰国後、自分1人で初めて車を運転してお遍路に行きました。病気初期の頃は、助手席に座っていても景色が動くのが怖く目を開けられない状態でしたが、帰国後は病気を患う以前の頃に近い感覚でスピードを出して自分で運転することが出来ました。運転を通して、動かない体が動いている感覚になり脳の運動に関する能力が正常に働いていると分かり驚きました。こうして1〜2週間はアメリカでの治療の効果があり元気でした。その後、薬の効果が切れてきたんだと思いますが、体がどんどん動かなくなって活動範囲が狭くなり、以前の生活に戻っていくという経験をしました。2週間もたなかったですね。

アメリカからの帰国後、体の痺れは軽くなり今ではほとんどありません。困っているのは、筋肉の強張り、痙縮、足がつる、痙攣など、下肢にそういった症状があります。リハビリをしても筋肉の痙攣は起こり、頑張れば頑張るほど痙攣や引きつりなどの症状が出ますが、日本で暮らしている以上は仕方がないと思っています。



《選択できる権利を願って》

僕みたいに薬がなくて苦しんでいる多くの人が少しでも助かってくれたらと願っています。病気が治るというよりも命の時間は限られているのでどれだけ生活の質を高め上げていけるか、充実できるかということだと思います。その一つの手段が医療大麻であって、それが全てではないのです。選択の一つです。生活の質を良くしていくのに、一番合う選択がほしい、選択権を与えて欲しいのです。僕は医療の選択があるということが大切なのではないかと思っています。絶対に医療大麻、ということではなく。この国が“患者の権利に関するWMAリスボン宣言”にも書いてある適切な医療を受ける権利と機会を与えてくれると信じたい。日本国憲法のある、日本という国を信じたい。病気で苦しんでいる多くの人達から適切な医療を受ける権利を奪わないで欲しいと願っています。

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